事務局だより(2017年6月24日)

前回6月の講演会では、明治以降、ロシアの民衆音楽が日本の音楽に与えた影響を歴史的にたどっていただきました。特に、日本の戦後歌謡のヒット曲とシベリア抑留体験のひそかな繋がりは新鮮な驚きでした。

次回7月は、上海に長く滞在された講演者をお迎えし、西洋列強により開港を余儀なくされた中国上海と日本横浜の歴史を対比検討していただきます。

8月は事務局の海外出張等のため、講演会はお休みをいただきます。9月の講演会は、9日(第2土曜日)の午後4時から開催予定です。幕末から明治期に活躍した洋学者箕作麟祥の著作『万国新史』(明治4年)を中心に、彼の家系である津山藩蘭学者の仕事にも触れつつお話しいただきます。詳細は追ってお知らせいたします。


空梅雨気味だった東日本も、雨雲に覆われる日が増えてきそうな6月末を迎えています。お忙しい日常のなか、眠気を誘うそぼ降る雨に身をゆだねて、きたるべき炎暑に備えるようなひと時を愛おしみください。

―青梅に手をかけて寝る蛙哉(小林一茶)

第142回講演会のお知らせ

上海と横浜 ― 二都物語

日付: 2017年7月8日(土)
時間: 16:00 – 18:00
場所: 渋谷アイビスビル10階 (エレベータで9階へ上がり階段でお越しください)

講師:
有賀英樹(ありが ひでき)氏
昭和19年生まれ。一橋大学法学部卒業後、三菱銀行に入行。平成5〜9年、三菱銀行初代上海支店長を務める。現地では、日本商工クラブ副会長や日本人学校理事などとしても、交友や見聞を広めた。ほかに、香港(4年)、北京(2年)など、中国を中心に海外勤務を経験している。現在は、ディ・アイ・エンジニアリング株式会社監査役を務めるかたわら、横浜黒船研究会に所属し、同研究会や業界主催の研究会、大学OB会、高校のセミナーなどでしばしば講演を行っている。

概要:
横浜と上海は、ともに19世紀中ごろ外圧によって港を開き、外国人居留地を形成し、その後、開港都市として発展した等共通点が多く、いわば双子の姉妹とも言える。しかし、その後一方は半植民地化の道を辿り、一方は主権を保持し強国になった。双子の姉妹の運命を分けたのはいったい何だったのか?
横浜は、2009年に開港150周年を迎え、市を挙げて盛大に祝った。一方、上海は1843年に開港して以来、この170年間一度も開港を祝ったことはない。上海に とって開港はいわば屈辱のシンボルであって、祝う対象などではなかったのだ。
横浜居留地も幕末の開港当時、一歩間違えば “第二の上海租界” になる可能性は充分あった。それを避けることが出来たのは何故か?そこには徳川幕府の英知と策略による必死の抵抗と、当時の国際情勢の動向が日本にとって幸いしたことが見て取れる。
東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)初代上海支店長の有賀英樹氏が、現地での経験を踏まえ、さまざまな角度から上海と横浜を比較しながら 横浜開港の歴史的、且つ国際的意義を語る。