「近世都市京都の町と町人――三条御倉町を素材として(仮)」
菅原 憲二 氏(千葉大学名誉教授)
日付: 2014年12月06日(土)
時間: 16:00 – 18:00
場所: 渋谷アイビスビル10階 (エレベータで9階へ上がり階段でお越しください)
講師プロフィール:
千葉大学名誉教授、放送大学客員教授。研究テーマ:日本近世の村と町の歴史的研究。
関係する編著として、以下のものがある。
共編著『京都冷泉町文書』京都冷泉町文書研究会、全6巻、別巻1、思文閣出版、1991-2000年
共編著『京都町触集成』京都町触研究会、全13巻、別巻2、岩波書店、1983-1989年
また、テーマにすこしだけ係わる論文としては、以下がある。
「近世京都の町と捨子」『歴史評論』422、1985年
「日本近世における身分制と身分差別」『歴史の中の差別』日本経済評論社、2001年
講演要旨:
近世都市京都は身分制的に編成されており、その中心部に禁裏、さらにその廻りに、貴族町、町人地、寺社地があり(ほぼ「御土居」内)、「御土居」外は百姓が居住する農村部となるが、京都を起点とする街道の出発地には刑場があり、処刑の公役に携わる被差別民の集落が「御土居」周辺部に展開していた。
町人地に焦点を絞ると、15世紀の応仁の乱以降、自治を発展させてきた町組が上京、下京を中心に展開しており、近世の公儀権力は、この町人の力に依拠、利用しながら支配を展開していたといえる。
京都御倉町(みくらちょう)は、現在の住所表示で言えば、京都市中京区にあり、京都風に表示すると三条通室町東入ルまたは三条通烏丸西入ル、となる。下京の由緒ある古町であり、南艮(みなみうしとら)組を構成する十三町の一つでもある。町内には豪商千切屋(ちきりや)惣左衛門が居住し、西隣の三条衣棚町の千切屋吉左衛門と並んで、京都の有力町人グループを構成していた。近世中期には北隣の冷泉町に三井越後屋が進出してくる。
三条通は東海道の延長線上にあり、室町通は、京都でもっとも有力な問屋が集中して店を構えた筋であって、その意味では京都の町人地では下京の中心といえる位置にある。
その裕福と思われる御倉町にあって町人と言えるのは一握りの家持=屋敷所有者=店舗経営者であり、その対極には多勢の借屋住民が居住していた。これは御倉町だけに限らない。
報告では近世都市京都の個々の町に共通する構成要素(惣、会所、用人など)と運営方式(談合と多分の儀)と論理を説明した上で、御倉町の概要を紹介し、近世期に御倉町の家持と借屋が直面していた問題(主に借屋が町に提出した文書を中心に)を考えてみたい。
[典拠:京都御倉町文書(個人蔵)]